「要求が無い」ということが
どういう事なのか?

小学生、中学生ならいざ知らず
たいていの大人であれば
今までの人生で
既に経験済みである筈。

勉強に興味がないのに
親に言われて塾に行ったり、
家庭教師をつけて勉強するが
思ったように成績が上がらない現実

憂さ晴らしで暴走行為をするが
周囲の人に何を言われても
暴走行為をやめない暴走族

当の本人に
「勉強しよう」
「暴走をやめよう」
という要求が無ければ
結果が伴わないの当たり前のこと。

そうです!
「要求が無い」人は
何ら暴走族と変わりが無いのです。

暴走族を更生するには
お巡りさんにとっ捕まって
施設にブチ込まれたり、
または大怪我して身体の一部を失ったり、
衝撃的な事故が起きなければ、
現実と向き合うキッカケができません。

身体に関しては、
医者に丸投げするか?
大事なものを失うか?
衝撃的な現実を突き付けられないと
気が付くことができないのです。

しかし、追い詰められてから
取ってつけたように要求を出したところで
ひっくり返すのは至難の技。
こう考えると
やっぱり
要求のない人は
暴走族と同じなのです。

要求の無いところに
無理強いはできませんから、
行くとことまで、
行ってもらうほかないのです。

あとは見送るだけです。

「いってらっしゃーい!」

(・◇・)/~~~

 

 

 

 

おわり