参加してくれた子供達の
行動や動作を見て
認識があまりにも
未熟であることに触れ

これは司馬遼太郎がいうように
無感動人間=無関心人間=集中力の欠如
のような重要な感覚や認識が失われつつある世代が
既に、はびこりつつあるように思えました。

実は、
参加してくれた子供達だけでは無く
柔道を教えている
大人達からも
これらが、顕著に見て取れたのです。

紛れもなく子供の責任ではなく
子供達の認識の欠如は
大人達の未熟さが
原因だと痛感しました。

柔道を教えている大人には、
「聞く力」が無いだけでなく
「考える力」も無く
もちろん、その先にある
先人達が持ち合わせていた
「創意工夫する力」などは
皆無であることが
鮮明になりました。

柔道と言えば我国の御家芸であるが、
柔道に携わる足元の大人がこの程度では、
日本人より身体の素材がいい諸外国の選手に
勝てる訳がないのです。
(オリンピック柔道惨敗が楽しみ)

今の日本で行なわれている柔道は、
「JUDO」であって
「武道」としての「柔道」ではない。
これは断言できます。

(悲しいことに、空手界も全く同じです。トホホ…)

司馬遼太郎が危惧した無感動体質は
次世代に向けた危惧ではなく
既にその片鱗が身近な世代に起こっていた事を
武道体験教室を通して
私も感じてしまいました。

困ったことに
親にその危機意識が全く無いのです。

これは、一般的に
非常に残念な事ですが、
無感動体質の渦は
あまりにも大きくて
現実には、絶望的なのかもしれません。

 

 

 

 

つづく…