その原因のひとつに、
「情報の錯綜」
が挙げられるのではなかろうか。

昔、名刀をつくる名人名工は、
「名刀だけ」を目にし、手にして
その技術や伝統だけを精巧に受け継いできました。

これが、

もし、

いい刀も、普通の刀も、悪い刀も
一色単に手にとっていたのであれば
世界に誇る刀鍛冶の名工は
育たなかったと考えられます。

脇目も触れず、
名刀一点だけを手にしていたからこそ
昔より遥かに進歩した
科学や技術がこれほど優れた現代でも
超える事のできない刀を
数百年も前の刀鍛冶は作る事ができた
と考えられるのです。

正に、他の情報(刀)に目もくれず、
掘り下げて考える力が
先人達には備わっていましたし、
余計な情報(名刀以外の刀)が無かったからこそ
科学の進んだ現代でも超えることのできない功績(刀)を
現生に残すことができたと考えられるのです。

これは、教育にも
同じ事が言えないだろうか?

グローバルをうたって
海外に出る事を推奨している人は
今の時代、当たり前のように、
口を開ければ何処にでもいるが

そういう人間に限って、
自国の文化の優位性に
全く気が付いていない。

海外の真似事が優れていると考えている、
「考える力」の欠如した人間が
余りにも多過ぎるのかもしれない。

自国の文化に気が付いていない大人が
掘り下げる能力もなく
ネット情報にだけ踊らされる
人間が評価されている。

戦争を知っている司馬遼太郎は、
この点も含めて危惧したのではなかろうか…

しかし、
当研究所に関わる人には
司馬遼太郎が危惧したような
無感動体質の鈍い人間は
絶対にいません。

何故なら、
無感動体質のような感受性が鈍い人では、
身体と向き合い
自分で身体を変えられないからです。

当研究所に出入りしている人にとっては
司馬遼太郎が心配するような
無感動体質人間は、
明らかに別世界の話なのです。

 

身体が鈍ると
感覚も感情も鈍くなるのは、
「あっっっったり前」の事で、
文豪の司馬遼太郎と言えども
身体に関しては、
左程、
詳しくなかったといえます。

正座のメカニズムは
あの経営の神様である松下幸之助も超えましたし、
司馬遼太郎も及びませんでしたね!
(^○^)

正座のメカニズムは
松下幸之助も司馬遼太郎も
超越しているのです。

正座のメカニズムに
関わっている方々
どうぞ自信を持って下さい!

 

 

 

 

おわり