つづき…

世界最古の医師、西洋医学の祖
といわれるヒポクラテスの四体液説とは、
「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁」
の4種類を人間の基本体液とする体液病理説である。

体液病理説とは、
人間の身体には数種類の体液があり、
その調和によって身体と精神の健康が保たれ、
このバランスが崩れると病気になるとする考え方である。

東洋医学の漢方では、体型によって体質を分類して観たり
西洋医学でも、細身の人は細やかな性格で、肥満は大雑把な性格などと
外観でその人の気質を見分けることが行われてきたが、
実際には、正確性に欠けるという理由で医学との関係性が薄れていった。

これは、先の経験医術の集大成である
ヒポクラテスの四体液説も同様で、

現代では近代医学とは異なるという理由で、
単なる歴史的な学説という扱いになっているが、

医学や科学がこれからどんなに進歩を遂げようとも、
本人が持っている力、治癒力、生命力以外に
頼れるものは何ひとつないと考えられる。

本人の意識なくして
自然治癒力は培われないし、

自然治癒力無くして
薬やワクチンや手術の縫合さえも
意味を成し得ないし、成立しない。

この事実は、
科学が進歩していると言われる現代よりも
経験や観察から身体を考察していた遠い過去の時代の方が
よく理解されていたのではなかろうか思う。

いつの時代も世界の優秀な研究者や学者が
目に見えないウイルスや細菌類を研究しているが、
それだけに依存する事は何とも歯がゆい他人任せに思える。

だからこそ、
自分で出来ることは自分で実行し、
身体の中心に力を集めることを研究して、
自分で健康を守る術を身に付ける必要性が
求められるのではなかろうかと思う。

そこに、科学や医学では解明できない
残された90%の身体の可能性を引き出す事に
期待できるのではなかろうか。

正座のメカニズムを単に知っているのと、
実践して続けて実行するのでは全く意味が違うことになる。

単に、空手を知っているのと
実際に体験し、やり続けるのでは全然意味が違うのと同じである。

気が付いた際は
腰を入れて、
身体の中心に力を集め
一味違う身体を体感してみましょう。

見える世界も一味違ってくるかもしれません。

おわり…