つづき…

(臨床例)
お婆さんが、
夜中に身体が熱い熱いと言って呼吸が苦しくなり入院し、
この人も呼吸器に水が溜まって意識を失ったが、
水を飲ませたら意識を回復し、
腹が減った!と言うので物を食べさせていたところを医者に見つかって、
「水や食べ物が肺に入ると死んでしまうので、何も与えるな!」と医者に言われ、
取り上げたら、また意識を失ったという。
そして4、5日してから亡くなったのだ。

この臨床例を知っていたのだ。

肺や心臓に水が溜まっているから、
水や食べ物を与えるな!というのが
現代医学の定説のようだが、

呼吸器に水が溜まっているにも関わらず、
身体が水を要求し、
飲んだ水を吸収することによって体液を薄め、
身体の外に余分な水分を
排泄しやすいように掻き立てるのが
自然な身体の要求ではなかろうかと考えられる。

他で例えると、
腎臓の機能が低下した際、
塩分やカリウムなどの摂取を控えるが、
腎臓が回復する際は、身体がどうしても
塩分を要求する。

この時に、必要な塩分が摂取できないと
回復の機を逃すことになる。
残念だが、これは西側の人達には
見分けることができない。
普段から自分の身体の要求に向き合っていることが
明暗を分けることになる。

台所を担っている
女性が長生きである由縁である。

程度にもよりますが、
腎臓は壊れても回復しますが、
回復しないと洗脳されている人は、
身体からの要求を見逃し、
回復する機を逃すことにもなる。

人間が人間を研究するようになって
昔から、かなりの時間が費やされてきた。

あらゆる優れた研究者が携わり、
血管、細胞、骨に加え色々な臓器に至るまでの
身体が研究されてきたが、

今までに研究し、解明してきたとされる人間の身体と
現実に存在する人間の身体との間に少々のズレがあるように思える。

そのズレは、その人の環境や背景や体質的なものから
人間を観ることが必要だと考えられる。

これは、古代ギリシャの医師ヒポクラテスが、
その人の素質を捉えるにはどうしたらよいかということを、
病人についての観察や経験から考察し、四体液説を説いている。

つづく…