前回のつづきです…その2です。

旦那さんの人柄と考える力…だったかな?
(いい加減だなぁ…すみません…(^^;;内容はしっかりいきます)

彼女の旦那さんは、とてもいい人で、
物腰の柔らかい、人柄の良さと優しさが画面を通しても伝わってきます。
お似合いのご夫婦といった感じです。
(うらやましいー)

旦那さんに対して、
彼女「とても優しい人です。怒ると怖いけど…笑」
それを聞いて、ニコニコしながら
旦那「彼女が、今日は調子が良いから点滴打たなくてイイ?
という時はよく怒ります。彼女の体調が良くない方になる事が、
自分ではどうする事もできないからイライラが出てしまう」
と、なんて率直で素直なご意見…

ハイ!キター!
ここがポイントです…

「今日は調子が良いから」という身体からの信号は、
今までの処置が功を奏したのか?
はたまた、身体の働きが何かのきっかけで
一時的にせよ、回復したからなのか?

何もしなくても「調子が良い」なら、
点滴を打つ事が身体に良いと勘違いして、
点滴を打つ事を常習化しなくてもイイのでは?
とも、考えられはしないのかな?と少し疑問に思った点です。

身体が自力で機能しようとしている働きに、
点滴を打つ事で、自己回復する機能に
水を差すことにはならないのか?とも考えられるからです。

つまり、調子が悪くて、点滴を打って、調子が良くなったのではなく、
何もしないで「今日は調子が良い」なら
何もしないで様子を見る、
経過を見守る方が身体の機能的には良かったのでは?
と考えられるからです。

これは、一般的に、胃がモタれるからといって、
人為的に処置していたのでは、
胃は怠けてしまい、働かなくなる、働けなくなる現象と似ているからです。

このような事が積み重なると身体はどうなるのか?
当然のことながら、自然治癒力は、落ちていきます。

ハイ!キター!
ここも注目です!

巷では、自然治癒力は誰にでも備わっていると思われていますが、
自然治癒力は自分で作るものなのです。
もちろん、作り方に個人差がありますので、
自然治癒力は、誰もが持ち合わせていますが、皆同じではないのです。

自分の心から湧き起こらないと自然治癒力は培われません。
考える力が無いと自然治癒力は落ちていきます。

点滴を打てばイイ!
モタれるから飲めばイイ!
という安易な考えは、身体が機能する機会を奪い、
自然治癒力を低下させている事になるのは当然の事なのです。

これは、良く考えればわかる事です。
専門知識や白衣を着た人に、聞かなければわからないという問題ではありません。

安易な事には落とし穴があるのです。
その穴に落ちるは?自分自身です。

これは、誰もが陥りやすい事例でもありますが、
身体に関して、考える力が欠落してくると
そのツケは、自分や大事な家族の身体や命で払う事になるのです。
誰も肩代わりはできません。

厳しいかもしれませんが、これは現実なのです。

これからの情報の垂れ流し時代は、考える力が欠落して
寿命を縮める人が必ず増えてきます。

当研究所では、そんな風評に踊らないように
自分の身体と向き合いながら
考える力も身に付いていきます。

科学や医学で、身体全体の10%や20%くらいしか解明できていない
狭い視界の中で右往左往するのか?
残りの解明できていない、80%、90%の可能性をも視野に入れながら、
考えて、判断するのでは、人生は大きく違うものになってくることは仕方のない事なのです。

皆さんは?どのように考え生きていきますか?

次回…

何だっけ?

その3、根本の原因(当研究所の考察と自分でできる対処法)

でしたね…