つづき…

『今、世界中を混乱に陥れている
新型コロナウィルスは、
目に見えないテロリストのように
恐れられているが、
一方的に襲撃してくるのではない。

まず、ウィルス表面のタンパク質が、
細胞側にある血圧の調整にかかわる
タンパク質と強力に結合する。
これは偶然にも思えるが、
ウィルスタンパク質と
宿主タンパク質とにはもともと
友達関係があったとも解釈できる。

それだけではない。
さらに細胞膜に存在する
宿主のタンパク質分解酵素が、
ウィルスタンパク質に近づいてきて、
これを特別な位置で切断する。

するとその断端が
指先のようにするすると伸びて、
ウィルスの殻と宿主の細胞膜を
巧みにたぐり寄せて融合させ、
ウィルスの内部の遺伝物質を
細胞内に注入する。

かくしてウィルスは
宿主の細胞内に感染するわけだが、
それは宿主側が極めて積極的に
ウィルスを招き入れている
とさえ言える挙動をした結果である。

これは一体
どういうことなことだろうか?

問いはウィルスの起源について
思いを馳せると自ずと解けてくる。
ウィルスは構造の単純さゆえ、
生命発生の初源から存在したか
と言えばそうではなく、
進化の結果、高等生物が登場した後、
初めてウィルスが現れた。

高等生物の遺伝子の一部が、
外部に飛び出したものとして。
つまりウィルスは
もともと私たちのものだった。

それが家出し、また、
どこかから流れてきた家出人を
宿主は優しく迎え入れているのだ。

なぜそんなことをするのか。
それはおそらくウィルスこそが
進化を加速してくれるからだ。

親から子に遺伝する情報は
垂直方向にしか伝わらない。

しかしウィルスのような存在があれば、
情報は水平方向に、
場合によっては種を越えてさえ伝達しうる。
それ故にウィルスという存在が
進化のプロセスで温存されたのだ。

おそらく宿主に全く気づかれることなく、
行き来を繰り返し、
さまようウィルスは数多く
存在していることだろう。

その運動はときに宿主に病気をもたらし、
死をもたらすこともあり得る。
しかし、それにも増して遺伝情報の
水平移動は生命系全体の
利他的なツールとして、
情報の交換と包摂に役立っていった。
いや、ときにウィルスが
病気や死をもたらす事ですら
利他的な行為といえるかもしれない。

病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、
新しい平衡状態を求めることに役立つ。
そして個体の死は、
その個体が専有していた生態学的な地位、
つまりニッチを、
新しい生命に手渡すという、
生態系全体の動的平衡を促進する行為である。

かくしてウィルスは、
私たち生命の不可避的な一部であるが故に、
それを根絶したり撲滅したりすることはできない。

私たちはこれまでも、
これからもウィルスを受け入れ、
共に動的平衡を生きていくしかない。』

青山学院大学教授、米ロックフェラー大客員研究者。生物学者。福岡伸一。
朝日デジタルonlineより。

 

 

つづく…