先日、プロ野球界の名将が逝った。

TVの情報番組では、
こぞってコーナーを設けたり
ときには特集を組んだりと
連日競うように放送していた。

その中のとある番組で
確執があって長年絶縁状態にあった
兄との再会を収録した番組があった。

お互い誤解が解けて
確執が解消された後
野村監督は兄と共に
母の墓前を訪れる。

杖をついている兄が
背を歩く足腰が悪くなった弟
野村監督に

「肩につかまったどうだ?」

と、声を掛ける。

野村監督「大丈夫かぁ?」

と、返しながらも兄の肩をしっかり掴んで
少し上り傾斜になっている墓跡までの道を歩んで行く。

 

感慨深いシーンである…

 

墓前に着くとそこには、

 

感謝とは感じて謝ること

 

と、刻まれていた。

言われてみれば、
読んで字の如くだが、

 

感じて?…謝る?…

 

少し考えた。

 

「感謝」と言えば
「ありがとう」の類が頭をよぎるが
この言葉の中には「謝る」
という意味は感じないし
言われた相手にも「謝る」意思は伝わらない。

だが、逆に、
「謝る」と言えば
「すみません」や「ごめんなさい」の
類の言葉が頭をよぎる。
こちらは、ときどき
「ありがとう」の意味を含めての
「すみません」や「ごめんなさい」
と使うことがある。

古の言葉に
侍が使っていたイメージが強い
「かたじけない」
という言葉があるが、

「かたじけない」とは
言われた側にとって
「ありがとう」の意味と
「謝る」意味が最も共存しているような
そんな印象を受ける言葉に思える。

なんとも日本語とは奥深い。

表面的な上っ面人間が使うカラ「感謝」と
本当の意味での「感謝」は
全く違うのかもしれませんね。

 

そんな事に
TVを観ている一視聴者に
気付かせてくれる監督は
やはり

「名将」

間違いありません。

 

 

 

 

つづく…