EBMでは、説明のつかない事例に
数多く立ち会うにあたり、
人間の生死には我々の理解を超えた
「何か」が働いているのではないか
と考えざるを得なくなったのです。

その結果、私は

「寿命が来れば肉体は朽ち果てるが、
霊魂は生き続ける。その意味で、人は死なない」

という考えに至りました。

(→言い過ぎかもしれませんが、「医者要らねーなっ!」
寿命がきたのであれば医者が何をしても変わらないし、
寿命でなければ、容態が悪くても戻って来られる。
ちょっとー言い過ぎかなぁ〜(-。-;)

つまり、
人間というのは肉体とエネルギー体、
いわゆる「霊魂」に分かれている
としか思えなくなったのです。

(→EBMを持って命に携わることで、
行き着いた方向性なのでしょう。
思考回路が「正常」ですし、説得力があります)

このことをふまえて考えれば、
不可思議な遺体も理解ができます。
本来ならとうに亡くなっていても
おかしくないような遺体と対面した時、
私は「もうこの人は、肉体の中にいなかったのだ」と、
理屈抜きに直感で感じることがありました。

(→イイですねー。西側の学問から登ってきた人に
東側の感性が備わってきた感じですね。
まさに、鬼に金棒ですな)

それはつまり、
死を目前にして
霊魂が肉体から離れつつあった
ということではないでしょうか。

人が住まなくなった家は
すぐに傷むと言います。

(→非常に分かりやすい例えです)

それと同様に、
人の肉体は魂を宿すための
「器」であり「入れ物」だから、
魂が抜けかけた体は
どんどんボロボロになってしまうのだ
と理解したのです。

(→肉体は、この世で生きて色々体験するための
モビルスーツということですね!正解です!)

一体、人の生死とは何なのでしょうか。

(→この辺の答えは?もう分かっていますよね?
過去のコラムで何度も記していますから…)

 

 

 

 

つづく…