先日、ネットニュースで
藤波辰巳の文字が目に止まった。

藤波辰巳といえば、プロレス。
通称、ドラゴンである。

記事によると、
足切断?の文字が…

記事によると、

1970年6月に日本プロレスに入門し、
1971年5月9日に岐阜市民センターで
デビューしてから今年で50年。

記念ツアーの第一戦を終えた藤波は試合後、マイクで
「プロレスが大好きなんでもう少し長く
リングでみなさんの拍手がもらえるように
頑張って参ります」と宣言した。

無事に記念ツアーの第1戦を
終えたドラゴンだったが、
直前にはあわや欠場の危機に立たされていた。

藤波は左足の蜂窩織(ほうかしき)炎のため
今月(10月)16日に参戦を予定していた
全日本プロレスの大田区総合体育館大会を欠場した。

この日、スポーツ報知の取材に応じ、
闘病生活の実態を明かした。

それによると、
左足のふくらはぎが腫れ始め
違和感を覚えたのが9月20日過ぎだったという。

「僕は乾燥肌でかかとが良く割れるんです。
その時も、またいつものことで大したことないだろう
と思って消毒液を塗って包帯をしていたんです」

ところが腫れは一向に収まらなかった。

それどころか、
ふくらはぎから水が漏れ始め
自宅で愛用するスリッパが
水びたしになるまでになった。

37度以上の発熱も発症。

あまりの異常に
伽織夫人から救急で
診察を受けることを勧められ、
10月2日に都内の大学病院へ診察を受けた。

「その時は、ふくらはぎが赤紫色になって、
ザクロみたいにただれた状態でした。
救急で診てもらったら、
医師はすぐに『蜂窩織炎です』と診断して、
そのまま入院しました。
結局、割れたかかとからばい菌が入って、
病気に冒されていたんです」

ふくらはぎから水が漏れ出す症状に
医師は衝撃的な宣告をしたという。

「先生は『この状態でも菌がかなり回っています。
もし、このまま放っておいたら、
切開して手術しなければいけなかった』といわれてね。
さらに放っておいたら
『肺に菌が回って肺血栓になる
可能性がありました。
最悪は左足を切断しなければいけなくなります』
と言われてね。さすがに驚きましたよ」

左足切断の危機はまぬがれたが、
入院中は、1日3回、8時間おきに点滴で治療した。
入院生活は2週間におよんだ。

「最初の1週間はベッドの上から動けなくてね。
その後は歩行器で歩く練習。
食事は普通にとれたので、
体重は減ることはなくて、
何とか体調を戻しました」

10月14日に退院し、
この日の50周年記念大会に間に合わせた。

幾多のケガやハプニングの連続だった
50年を象徴するような今回の入院。
それだけにこの日のリングは万感の思いがあった。

試合では左足のふくらはぎには
テーピングを巻きながらも
入院生活を感じさせない動きでファンを魅了した。

「まさかの入院があっただけに、
50年ツアー迎えられただけでもよかった。
今はリングに上がれる喜びが第一。
ウチのファン層は、昔のよき時代の
プロレスを知っているファンが多い。
もう1回、そういうファンにプロレスの良さを見せて、
お客さん自身が燃え時代に戻せるよう、
そんな時間にしたい。
そのためには自分がリングに上がることが第一です」

と語った。

この記事を読んで、

「細菌かー?」

それとも、

「藤波辰巳の靴の中
よっぽど細菌だらけなのか?」

とも、思いましたが…

 

 

つづく…