つづき

遺影写真専門になったきっかけは、

田舎育ちであったため
高校を卒業すると19歳で上京。
東京写真短期大学
(現、東京工芸大学)に進学し、
卒業後、憧れの資生堂写真部に就職。

資生堂時代、こだわったのは、
「誰よりも商品を美しく見せる」
という事でした。

23歳でフリーになって、
25歳のときに大学時代の同級生だった
今の奥さんと結婚。

しかし、仕事がなく苦しい生活が続く。

生活が成り立たないくらい
収入が少ない時があって、

子供が産まれたときは
当時住んでいた中野区の低所得者で、
仕事で使うカメラを質屋に入れて
凌いでいたくらいであった。

そんな事をしていたら、

「お前たちそんなに大変なら
あそこに住んでイイぞ!」

と、当時町医者をしていた
奥さんの父である義父が
自宅に住まわしてくれた。

そうすると、

生活基盤が安定し、
商業カメラマンとして仕事に集中することができ、
朝日広告賞部門賞、ニューヨークADC(アートディレクター)賞銅賞など
数々の広告賞を受賞するようになったという。

 

 

でも…

 

 

 

 

つづく…