途中、工具を取る手や
所動がぎこちなく見えるところもあって、
長い月日が経ったことを
感じざるを得なかった。

これが、世間一般の
「時間」とか「老い」
というものなのだろう!と
しみじみ感じさせられた
ひと時であった。

気が付いたかもしれませんが、
Hオートの社長が、
はじまっているもの

それは、認知症。

工具を落としたり、
手元がおぼつかない。

そして、手間のかかる車輪の歪みの
調整ができなくなっている。

できるのかもしれないが、
面倒だから関わらないようにしている。

その僅かなぎこちなさは、
普段一緒にいる人には
「変だぞ!」と気が付かないのかもしれない。

認知症を指摘したところで
「聞く力」のある人でもない。

今、軌道修正すれば、
まだ十分、認知の道から
引き返すことができる、
初期の初期なのかもしれないが、

Hオートの社長も
若いときから考えれば
時間が経過している。

 

今回は、自転車の修理を介して
一般的な人の「時間の流れ」や「老い」というものを
客観的に感じている自分がいた。

「老け込む」という言葉があるように
同じ時間の中で生きていても
何かをキッカケに
急に老け込んでみたり、
逆に、老け込む速度が遅かったり

同じ時間を生きていても
時間の速度が違うことがある。

今回は、明らかに、周りが自分とは
「時間の流れ」が違う印象を受けた。

何だったのだろうか?

日課にしている
精神統一の賜物だとは思うが、

同じ世界で同じ時間の流れで生きていても、
違う時間の流れを感じても不思議ではない。

夢に中では「時間」を感じないが、

覚醒している時間帯で
意識的に周囲とは違う時間の流れを
感じたのは、何とも不思議であった。

当然、自分でも「老い」は感じるが
速度が違うのであろう。

意識的に「時間の流れ」の違いを感じた
面白い1日であった。

 

 

 

おわり

 

 

 

追伸

性別に関わらず、

兎角、男は仕事。

仕事から離れると
男はボケる人が多い。
父もそうだった。

 

知人の制服トップまで上り詰めた人でも
退官して2年でボケた。

金があっても、
家があっても、
名誉があっても、
ボケは止められない。

死ぬまで、働ける環境は
色々な意味で恵まれている。

金とか家とか名誉とか
ボケとは何の関係もない。

先のコラムの
「親ガチャ」とか言っている
低次元共は、

「ボケガチャ」

とか

「認知ガチャ」

とか言い出すのだろうか?

経験が浅いだけに
仕方がないのかもしれませんが、

そんなポンコツ共が使う言葉を
マスゴミが面白おかしく取り上げて
流行語なんてものが成り立っているんですねー

どんだけ、
くだらないのか?
よく分かりますわな。