社長である旦那がこの世を去り、
家業を継いで忙しくなったせいか
みどりチャンも疎遠になった。

たまたま
別の案件で友人と連絡を取った際
みどりチャンも
婦人科に悪性新生物を
こしらえた事を聞かされた。

しかし、

私は、驚かなかった。

最初に身体を診たときに
予想はできていたからだ。

最初の印象が必ずしも
現実になる訳ではないが、

最初に身体を診たときから
大事な「本人の意識」が
身体に向いていないのは
致命的だと考えていた。

身体の鈍かった旦那と違い
みどりチャンの感受性は良かったが、

「大事な意識」が身体に向いていない。

身体を診る度
自分の身体に意識を向けるように誘導してきたが
現実は、家業の忙しさの方が
勝ってしまったようである。

以前、みどりチャンが
言っていた潔い言葉を思い出した。

「私はやりたい事をやったから
いつ逝ってもイイの!」

その後、
どうなったのか?は知らないが、

持って生まれた感受性がよくても
本人にその気が無ければ
宝の持ち腐れになるのは当たり前だ。

医者にいくように
身体を他人に丸投げするなら
「自分の意識」など問題ではないが、

後悔のないように
自分でなんとかしようと
思うのであれば、
絶対に「本人の意識」は欠く事はできない。

当たり前の事である。

 

 

 

つづく…