つづき

 

条件は、
前にも出てきましたが、
自分が肉体を無くしているという
自覚がある人に限ります。

前に出た、
葬儀もお経も戒名も、
実は、生前、何回か死の儀式に立ち会う事で、
「人が死ぬと葬儀をするものなんだ」
という認識が自然と植え付けられ、

自分が死んだ時に
葬儀をすることで
自分の遺影を見て
「俺は死んだのか…?」
と死を自覚させる目的があるのです。

だから、死の自覚を持てる人は、
お金をかけて儀式をする必要性は
全くありません。

言わば、葬儀は、残された一族の
「見栄と無知の象徴」
とも言えるのでは無いでしょうか。

故人の「死」に対する考え方が、
非常に大事になってくるの訳です。

残された家族達は、
亡くなった人のために、
故人が生前好きだった飲み物や食べ物、
思い出の品、愛用の品等を
たくさんお供えします。

亡くなってしばらくは、
どんどんお供えしてあげましょう。

しかし、
これはある一定の短い期間だけです。

人間界において依存性の高い物を
例え故人が好きだった物だからといって
いつまでもダラダラと
お供えするものではありません。

人間界で依存性の高い物を
いつまでも供えていると
故人がこちらの世界に
執着を持ってしまいます。

そりゃーそうですよね。
進化しようとしているのに、
元いた世界から自分の大好物の
誘惑がビシビシ伝わってきたら
気になって気になって仕方がないと思うのです。

 

 

つづく…