つづき…

ここで、再び我々の武道に戻る。

「?どうしてですか…?」

我々の武道は、
技のひとつひとつ
一挙手一投足に意識を
込めると言いました。

入門したての頃は
身体の部位に意識を込める事ができない。

そのため、意識を込められるように
その部位を「叩く」「触わる」のです。

「触る」ことで感受性が集まってくるし、
感覚を通して、そこを意識できるようになるからです。

そして、歩く前に、心の中で

(お前を信用しているからな…頼むぞ!)

と、念押しするのです。

すると、内ももに意識が集まり高まります。

こうする事で、
身体の変化を身体に思いこませ、
身体の中心を意識できるように方向付けるのです。

そんなことを1ヶ月もやっているうちに
身体が、それを覚えてしまいます。

つまり、自分の身体を再教育できるのです。

追伸

やっぱり、昔の「作って使う」
空手の理論はある意味、
最先端でしたね…

今でもそうですね。

しかし、今は、風評に流され
「正座は身体に悪い!」を真に受け
大会でも「正座」を行いません。

武道空手を掲げている集団が
「正座」を禁止しているのです。

また、これを受けて「正座が悪いモノ」と
洗脳されている能無しの支部長クラスは、
弟子に正座をさせません。

もはや、こうなってくると武道ではなく
「三流のヘタレ宗教」と同じです。

試合後の挨拶をするときも、
あぐらをかいて防具をはずしている様は、
情け無い落武者のようです。

勝っても負けても
最後の挨拶が武道らしく立ち振る舞えるから
潔さが際立ち、両者が賞賛されるのですが…

正座をしませんので
試合も締まりません。

そのため、防具を付けている意味が無いのです。
蚊に刺されたような、
今のキックボクシングのような、
小手先以下の技しか身に付けられないのです。

昔は、剣道の面のような防具の上からでも倒したり、
竹が入っている防具の上からでも、
骨をへし折ったりするのは当たり前でした。

そのくらい強烈な技を作り上げていたので、
防具を付けなければ危険だったのですが…

昔は、そのくらい武道的に技化されていたのです。

著書に書いてある武道もどきの流派とは、
何を隠そう、我々の組織の現状です。

明らかに、以前よりは
退化、衰退していますので、
今は、武道の欠片も見受けられません。

そういう意味では、
武道の技を探求するのは
時代錯誤なのかもしれませんね…

やはり、
いい時代に空手をやっていましたな…

おわり