供養の手段方法は、
故人を思う愛念が全てです。

儀式や規模は問題ではありません。

お墓に行かなければ、
仏壇や御位牌を拝まなければ、
故人に届かないということではありません。

お墓は、場所やその雰囲気が
お参りする人の気持ちを神妙にさせるため
故人に届きやすいというだけです。

そうすると、先に出た、
これから便利をうたい文句にする馬と鹿が
リモート墓参り!なんていう荒業を
披露してくる事が考えられますが、
そこに愛念は?あるんでしょうか?

「便利さ」の中に
「愛念」は共存できるのでしょうか?

リモート墓参り!を「愛念」を持ってできる人は
相当な修行を積まれた達人か?
「便利」という言葉に踊る猿以下か?

どっちかですね…

まぁ〜間違いなく
100%猿でしょうね!

何処にいようと、
故人を思う気持ちが全てです。

お墓も仏壇も必要か?というと、
故人と拝む側の考え次第ですね。

絶対に必要なものではありません。

このくらい、
死後の世界について知っていれば
十分ではないでしょうか?

あとは、
自分が元の世界に戻ったときに
適応すれば問題無い筈です。

今回は、一般的に避けられがちな
ディープなテーマでしたが、
知ってしまうと違った意味で
楽しみ方もあるように思うのですが、
如何だったでしょうか?

ちなみに、私は、肉体から離れるのが、
楽しみで仕方ありません。

これも、知っているからこそなのでしょうね。

 

夜空に浮かぶ満天の星を思い浮かべて下さい。

 

 

 

 

つづく…