そして、滑稽なのが、
そんな子供達からの評価も知らず、

長男に自分達の面倒を
みてもらうつもりになっている
アホ親代表のような弟。

自分の弟ながら、
呆れてしまいます。

親が偉い的な育児を
子供達に押し付けてきた結果が
この審判なのでしょう。

これは、ある意味、
仕方ないですよね。

子供達の親に対する審判ですから
アホな親側が、ツベコベ言ったところで
子供の心情に変わりはないでしょうし、

小言を言えば、更に、
子供達の心は離れていく事でしょう。

なんとも
哀れさを覚えます。

この問題は、
弟の子育ての手段方法としての
問題もあるのでしょうが、

その根底には、
弟と弟の親との関係に遡らないと
解決の糸口が見出せないのです。

弟は、
何度も更生施設にお世話になるような
思春期を過ごしてきましたが、
その原因は全て親にあります。

私の親が?どんな親か?は
著書に書いてあります。

弟が、親との関係において
少年期は、「依存的敵対関係」
にならなければ
存在できない状態でした。

言葉通り、
敵対していても依存してる
という矛盾した関係です。

その関係も、
自分の家庭を築く事で、
親に対する依存が一時的に無くなり
「隠された敵意」と変化し
これを抱えたまま
育児に関わっていったのです。

 

 

 

つづく…