店を出て二軒目に向かった。

青年は、
「まぁまぁお腹一杯で
そんなに食べられない」という。

最初に言っていた、
「ボク結構食べますよ!」のセリフは
全くの嘘っぱちであった。

人の行き交う道端で
問答しているのも面倒なので

「行こう!行こう!」と誘いながら
連れていくことにした。

二軒目のラーメン屋さんに突入。

大した店ではないが
青年のバカさ加減を引き出しながら、
たまには全く話の噛み合わない
試練の時間を過ごすのも
違った感覚が味わえるかもしれないという
ある意味、悟りの境地に至っていた。

が、

話せば話すほど
育ちが悪い。

何か協力してあげようとか、
何かアドバイスしてあげようとか、
社会で爪弾きされないように
自覚を持たせてやろうとか、
必要なら知人を紹介してあげようとか、

青年の人生を援護射撃するような
気持ちが全く沸き起こらない、
むしろ、そんな気が失せてしまう、
珍しいタイプであることに気が付いた。

それと同時に
哀れな青年であることに
少々同情した。

確かに育った環境は万全ではないが、
世の中には片親でも
しっかり成長できている人間もいる。

自分の育ちの悪さを
親のせいや、環境のせいにするのは簡単だが、
二十歳も過ぎれば自分で社会に出て
その気になれば社会の一端になることができる筈。

我々の時代は、
架空のネット社会など存在せず
実社会に中で生きていくしかなかった。

実社会で揉まれて
成長することができた。

しかし、今は違う。

逃げることのできる、
架空の世界に依存することができる
ネットの世界がある。

非常に複雑である。

 

 

 

つづく…