つづき…

 

我が家では、今思うと、
父が寝たきりになるキッカケが
長男が実家に出戻ってきてからである。

昔の人間である父の意識には
「長男が実家に戻ってきたからここを守ってくれる」
という「安心」した無意識が働いたのであろう。

その時から、
父のアルツハイマーが
始まったように思う。

そして、ある日、私の運転で
所用で父の実家に向かう車中で
父の異変に、家族の中で一早く、
私が察知した。

これも、
父の無意識の中にある「安心」が
病の進行を早めたと考えられる。

動物でも自然界では
ボケてはいられない。

生きていけないからである。

野生に近い生活をしている
ホームレスの人にも
痴呆は、稀ではなかろうか?

「気」を抜けないからである。

余談になるが、
ホームレスの痴呆は、
「安心」とは真逆の「現実逃避」の意識から
稀に痴呆になるのでは?と想像できる。

 

料理でも一手間を加えることで
数段、料理が進化する。
手間を惜しんでは
美味いものはできない。

農業も同じだ。
手間を惜しんでいたのでは
美味しい農作物はできない。

格闘技も同じだ。
相手を料理するための技磨きに
手間を惜しんでいたのでは
強くはなれない。

これは、スポーツ全般に
言えることではなかろうか。

「手間」を惜しんでいたのでは
創造性も秘められた可能性も
全てが閉ざされてしまうのだ。

 

 

 

つづく